合理性と人間の性(さが)

 経済学においては、大きく分けて2つのアプローチがある。

 一つは、様々な与件をもとに演繹的に理論を構築していく立場。こちらは伝統的な経済学の流れに近い。伝統的には人間は合理的な存在であることを仮定していたが、近年は情報の非対称性など人間の有限性を意識して完全な合理性を崩すような理論の研究が進んできているようである。

 もう一つは、人間の実際の行動から帰納的に理論を構築していく立場。行動経済学や実験経済学など新たな経済学領域(行動科学や物理学など他分野からの流入でもある)がそれにあたる。

 直観的には、人間は完全に合理的な存在であるとは思えないし、もともとの伝統的な経済学の仮定が無茶であったということかもしれないが、現在のミクロ経済学の教科書でまずは完全競争を仮定して勉強しましょうというのと同じで、まずは極端な仮定だけども原理原則の抽出から、ということだったのだと思う。

 時代は進み、合理性の仮定は揺らぐが、経済学の本流の流転とはまた別に人間行動の観察から始まる研究が勃興してきたのは自然な流れだったようにも思える。

 代表性バイアス、アベイラビリティバイアス、現状維持バイアスなど行動経済学の理論では、限定合理性が詳らかに示されるが、それをマクロレベルまで昇華させ、経済全体の把握につなげるための理論構築は、経済学の本流の仕事であろう。

 

 ※行動経済学の歴史から理論まで、さらに経済学全体でのその立ち位置も分かります。