デフォルトの効能

人間社会の発展の歴史は、自由の追求と切り離せない。独裁国家君主制からの離脱、フランス革命などで多数の先達が血を流して勝ち取った民主主義は、選択する自由を得るための人々の戦いでもあった。

 

21世紀になって、情報化が進んでくると、人々のくらしは選択肢が溢れ、選択する自由の有り難さも忘却されるようになった。(世界を見渡すとそうでもない国もあるが、少なくとも日本ではそうではないかと。)

 

選択するということはエネルギーを使う。選択疲れも指摘されるようになってきた。朝起きてから毎日何回決断しないといけないのだろう。今日はどんな服を着ていく?朝は何を食べる?どの靴を履いていこうか?朝から考えることはいろいろある。だから、選ばないという選択も合理的たりうる世の中になっているのだろう。

 

しかし、それは一方で誰かに選んでもらっているということにほかならない。習慣であれば、過去の自分に選んでもらっていること。web通販サイトのレコメンド商品であれば、購入履歴からAIが選んでるのかも。もしくは自分の商品を売り込もうというメーカーの意志かも。

 

それは押し付けられるよりましなのかもしれないし、いやなら拒否もできる。でも、たまには、自分は本当にそれでいいの?って考えることも必要だと思う。

 

 

選択しないという選択: ビッグデータで変わる「自由」のかたち

選択しないという選択: ビッグデータで変わる「自由」のかたち

 

 サンスティーンは、R.セイラーとの共著で行動科学の観点からナッジというリバタリアンパターナリズムを提唱した方であり、オバマ政権内で行政実務も担当していた実務家でもあります。最近邦訳も多いですが、英語の以下の近著も気になります。

 

The Ethics of Influence: Government in the Age of Behavioral Science (Cambridge Studies in Economics, Choice, and Society)

The Ethics of Influence: Government in the Age of Behavioral Science (Cambridge Studies in Economics, Choice, and Society)