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データ分析の力

数式は一切出てこない。

因果関係を証明するためのエビデンスとなる手法と実務的な利用法がわかる。

因果関係の証明はA→Bであり、それ以外ではないことを見極めないといけない、とても困難な道。当たり前のようだけど、本当にそうかはどうやって証明できるんだろう、ということが重要な土台となる仮定だったりする。

RCT、RDデザイン、集積分析、パネルデータ分析など、門外漢にとっては聞いただけだとなんだかよくわからない手法を直感的な理解ができるよう示されている。

同時に、それぞれの分析手法の強みや弱み、限界を明快に晒してる。完全な方法はないのだ。

しかし、この本には世の中で言われている因果関係の確からしさを正しく認識するための教養が詰まっている。

 

データ分析の力 因果関係に迫る思考法 (光文社新書)

データ分析の力 因果関係に迫る思考法 (光文社新書)

 

 

この本の次に読むなら、こちらかな。

「原因と結果」の経済学―――データから真実を見抜く思考法

 

 統計データの確からしさを疑う人にはこちらを。 

ダメな統計学: 悲惨なほど完全なる手引書

 

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役に立たない読書

読書は娯楽である。

役に立つか、たたないか、考えるのは無粋である。役に立てようと思って義務的に読むのは面白くない。つまらない本は読まなければいい。

でも食わず嫌いはよくない。何事も試し読みしてみると、意外と面白いものに出会える。無駄骨あるけれど、それも一興。

本の装丁などのデザインは「書姿」。姿が美しいと手に入れたくなる。これはわかる人だけわかること。

本も中身だけが全てではない。デザイン、大きさ、ページのめくりやすさ、字のフォント、余白の広さ、そして、その本を手に取ったシチュエーションまで全てがその本との思い出になる。

また本を手放すことが難しくなりそうだ。

 

 

 

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リバタリアニズムを問い直す

リバタリアンというと自由至上主義者という言われ方をする。よく比較対象としてあげられるのはコミュニタリアンであったり、社会主義者であったりする。しかし、私はそれはちょっと違うのではないかと思う。

リバタリアンは「自由」に価値があるものとして重きを置く人たちにほかならない。コミュニタリアンは共同体的な存在に価値を見出す人たちであり、社会主義者は平等性を大切にする(他にもあるが)。そう、彼らの論じるテーマは異なるのである。

本書はリバタリアニズム、すなわち「自由」をテーマにしたものである。リバタリアンというと、オバタリアンとかバーバリアンとかなんかあんまりいいイメージではないが、そんなことを考える前に本書を読んでみるといい。彼らだって自由に価値があると考えるには理由を持っている。きちんとした政治思想の一分野であるのだから。

 

リバタリアニズムを問い直す: 右派/左派対立の先へ

リバタリアニズムを問い直す: 右派/左派対立の先へ

 

 

 

ベストセラーコード

ベストセラーには売れる法則がある。それも効果的な広告宣伝ではなく、その本の中身にだ。

計量文献学という学問分野はあまり聞き慣れないが、データ分析の技法を文学の分野に取り入れたもののようである。一般的な計量経済学は数値データを基本的に解析すると思うが、文学はテキストを対象としなければならない。人間が一つ一つ読むとしても膨大な量の小説を読みきるのは不可能。しかし、コンピューターに文字が読めるのか。

情報処理技術の革新がそれを可能にした。著者は機械学習などのツールを利用してテキストマイニングを行い、ベストセラーになるかどうか判定する人工知能を作り出した。

本筋からはそれるが、人には文章の癖がある。これはよく意識して読まないと分からないし、本人もわかってないことが多いが、機械は識別することができる。たとえ異なるペンネームで書いたとしても正体が分かってしまうのだ。

なんともおそろしい世界になった。

 

ベストセラーコード 「売れる文章」を見きわめる驚異のアルゴリズム

ベストセラーコード 「売れる文章」を見きわめる驚異のアルゴリズム

 

 

 

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組織の掟

筆者には外務省という特殊な事情があるとしても、どこであっても組織の掟があることは言うまでもない。

組織は人を引き上げてくれるが、他方で、組織防衛のためなら個人を切り捨てることも厭わない。

組織の非情さと組織を組み上げるそれぞれの個人の温かさ、冷たさ。筆者の経験からは組織で生きる上で必要な箴言が鮮烈に心に刻まれる。

言うは易し、行うは難し、ではあるが、組織で働くすべての者が肝に命ずるに値する言葉たちである。

 

組織の掟 (新潮新書)

組織の掟 (新潮新書)

 

 

 

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不平等と豊かさ

 ハリー・G・フランクファートは、高名な哲学者であるが、変な本を書いている。少なくとも、日本人の一般人諸兄はそう思うに十分な理由がある。(その理由は一番最後に。)

 

 が、ここでは平等主義の是非を扱う ”On Inequality”について話したい。これもまたそんなに長くない本なのですぐ読めるが、要すればみんなが十分に豊かであれば不平等があったっていいのではないのかという主張のようである。

 これは、格差や不平等なんてどうでもいいと言っているわけではなく、ただ格差があるから問題、不平等があるから問題、という論調はおかしいのではないかという問題提起である。

 決して貧困があってもいいとは言っていない。ただ、格差や不平等と貧困を混同して同一に語るのはおかしいということである。両者に因果関係があるのであれば別だが、格差を解消したところで、必ずしも貧困がなくなるかというのはそうは言えないところである。(みんなが貧しくなるというのもありえるから。ここは価値観の問題も生じるので、「何の」平等かというところも意識しないといけない。)

 一定のサイクルを示すように、格差や不平等という言葉はまた注目されてきているが、平等の価値はまだ答えが出ていないようである。

 

不平等論: 格差は悪なのか? (単行本)

不平等論: 格差は悪なのか? (単行本)

 

 ※読みやすい。しかも、短い。何より主張が一貫していて分かりやすいです。キーワードは、「充足性のドクトリン」。

  

ウンコな議論 (ちくま学芸文庫)

ウンコな議論 (ちくま学芸文庫)

 

 ※最近、ちくま学芸文庫で復刊されました。コメントはしません。

 

平等主義の哲学: ロールズから健康の分配まで

平等主義の哲学: ロールズから健康の分配まで

 

 ※ちょっと難しいです。本気で平等について考えたい人はどうぞ。答えは乗ってませんが、こんな論点があるのか。というのはわかります。

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合理性と人間の性(さが)

 経済学においては、大きく分けて2つのアプローチがある。

 一つは、様々な与件をもとに演繹的に理論を構築していく立場。こちらは伝統的な経済学の流れに近い。伝統的には人間は合理的な存在であることを仮定していたが、近年は情報の非対称性など人間の有限性を意識して完全な合理性を崩すような理論の研究が進んできているようである。

 もう一つは、人間の実際の行動から帰納的に理論を構築していく立場。行動経済学や実験経済学など新たな経済学領域(行動科学や物理学など他分野からの流入でもある)がそれにあたる。

 直観的には、人間は完全に合理的な存在であるとは思えないし、もともとの伝統的な経済学の仮定が無茶であったということかもしれないが、現在のミクロ経済学の教科書でまずは完全競争を仮定して勉強しましょうというのと同じで、まずは極端な仮定だけども原理原則の抽出から、ということだったのだと思う。

 時代は進み、合理性の仮定は揺らぐが、経済学の本流の流転とはまた別に人間行動の観察から始まる研究が勃興してきたのは自然な流れだったようにも思える。

 代表性バイアス、アベイラビリティバイアス、現状維持バイアスなど行動経済学の理論では、限定合理性が詳らかに示されるが、それをマクロレベルまで昇華させ、経済全体の把握につなげるための理論構築は、経済学の本流の仕事であろう。

 

 ※行動経済学の歴史から理論まで、さらに経済学全体でのその立ち位置も分かります。